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(勤行) |
開教者会会員は2月4日の習礼、そして前日の準備及び逮夜のお勤め、そして日中法要当日の計3日真宗会館に集まりました。
毎日自坊でお勤めはしていますが、複数の僧侶が集まってお勤めをする機会はなかなかありませんので、会員の皆さんの声を聞きながら一緒に声を出してお勤めをする機会は大変貴重な時間だと思っています。
毎日自坊でお勤めはしていますが、複数の僧侶が集まってお勤めをする機会はなかなかありませんので、会員の皆さんの声を聞きながら一緒に声を出してお勤めをする機会は大変貴重な時間だと思っています。
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(2月4日の習礼の様子) |
習礼(しゅらい)という言葉は私が僧侶になって初めて耳にした言葉です。調べると「重要な儀式の前に予行をすること」とあります。昔から真宗門徒が大切にしてきた報恩講を厳修するにあたり、練習をすること。そして声明の意味を今一度確認していく大切な時間です。
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(国分氏による感話) |
逮夜法要の後には毎年会員による感話があります。皆さんの日々の活動や想いを聞く中で、「開教とは一体どういうことなのか」を再確認することができました。
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(武田氏による法話) |
日中法要の後のご法話は、江東区因速寺の武田定光先生をお招きし「阿弥陀さんからの挑戦状」というテーマでお話しいただきました。なかなか挑戦状を受け取らない私に対してひたすらに挑戦状を叩きつけてくださっているのが阿弥陀さんなのだと。
また、「今」ということを丁寧にお話しいただきました。仏教はいつ始まったのか、阿弥陀様からなのか、釈尊なのか、親鸞聖人なのかではなく、「今この私」から始まっていく。親鸞聖人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とおっしゃったように、私一人のための仏教だったのだと一人一人が受けとっていくことが私たちの歩みなのだと感じました。
今回このようなお話をいただく中で、悪人としての自覚というものが一体どういうことなのかを改めて考える大切な時間をいただいたと思っています。
開教者会の報恩講はたくさんの方と一緒に正信偈を読み、仏法を聴聞する有難い時間です。来年の自坊での報恩講、そして開教者会の報恩講をしっかりお勤めできるよう日々過ごして行きたいと思います。
開教所六縁寺(りくえんじ) 佐々木 健太 (ささき けんた)