福島県沿岸部の被災地を訪ねて
2025年10月9日~10日まで、2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地を巡る研修旅行に参加した。震災から14年半を経過した現状を見聞きしてきた。そしてその研修内容について感想を書けと依頼され、何度も内容を検討し校正してきたが、最終的に「何を書いても、結局は、傍観者・部外者のそらごと・たわごとになってしまう」という結論に達してしまい、未だに研修会に関する感想文は書けていない。
震災のあった翌年(2012年)から、真宗大谷派東京教区のボランティア活動で、いわき市の好間仮設住宅での炊き出しボランティアに参加していたが、その仮設住宅は、東京電力福島第一原子力発電所がある福島県富岡町からの避難者が主に生活をされていた施設で、あの原発事故が起こってすぐ、強制的に着の身着のままで避難させられてきた方々がほとんどだった。初めの頃は、いつか帰れる日が来ることを信じて、慣れない避難生活もじっと我慢されていたように思った。
震災から3年が経った2014年5月に、全国に避難されていた方々を仙台に集め「震災3年のつどい」*1 が開かれることとなり、好間仮設の方々といっしょにバスで仙台国際センターに向かった。つどいのなかで、各被災地の代表的な場所の映像が大きなスクリーンに映し出され、好間仮設の方々にとって心の故郷である富岡町の桜並木が映し出された瞬間、そこに座っていた富岡町出身の方々が、「うぇっ」という嗚咽とともに、皆さんが肩を震わせてむせび泣き出した…。その姿を後ろから見ていた私は、周りも被災者ばかりで自分たちだけがつどいのなかで辛いわけではないので、大声をあげて泣くこともできず、それでむせび泣いていたんだということを一瞬で理解した。その翌年、ボランティアで再び好間仮設を訪れたとき、避難者の一人がポロっと本音を語ってくれた。「もう私たちは、帰れないかもしれない。」明らかに故郷を捨てざるを得ない覚悟を無理やり作り出そうとしていた表情だった。その言葉を聞いた瞬間から私は、いわき市から先の被災地に足を踏み入れることをためらい、震災に関することには極力コメントをしないようにしてきた。
今回の研修会に参加して、自分に言えることは少ない。ひとつは津波に関して。研修に同行くださった原町別院の木ノ下さんが教えてくれた、「津波は、濡れたら死ぬよ」ということを新たな教訓とすること。ふたつめは原発事故に関して。あの何度も往復した国道6号線から海側の、原発事故当時そのままの民家や施設そのものが、全てを物語っているように思えたということだ。
| (原町別院前での集合写真) |
*1:「3・11東日本大震災・心に刻む集い」(真宗大谷派仙台教区主催)
https://jodoshinshu.info/category/shusotoshite/syu1305.html 開教所聞信寺(もんしんじ) 本多 惠昭 (ほんだ えしょう)